子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。(マタイ19章14節)
©︎Katsuaki Watanabe / 聖書 新共同訳

 

2000年以上前のイスラエル。

神が人となって地上に来たのがイエスですが、イエスは人間が生まれるのと同じように、赤ちゃんの姿でこの世界に来ました。

お父さんはヨセフ、お母さんはマリアです。

 

大工の息子として生まれたイエスは、30歳くらいまで父親と同じく大工の仕事をしていました。

そんなイエスが、ある時から突然「神の国は近づいた」と言って福音を伝え始めたわけです。

 

でも、大工の話を多くの人が真剣に聞くでしょうか。

当時から宗教指導者というのは、ものすごく学問を修めた人たちだったわけで、彼らに比べれば大工の話というのは、そんなにありがたがって聞くものではありませんでした。

 

しかし、聖書にはこんなシーンが出てきます。

そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。

しかし、イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」

そして、子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた。

(マタイによる福音書19章13〜15節)

 

状況を少し説明しますと、イエスの周りには大勢の人が話を聴きに集まって来ていました。

そんな中、ある人々が子供たちを連れてきたのです。

 

子供って、賑やかで(うるさくて)、元気で(落ち着きがなくて)、無邪気(悪気は無いけどちょっと邪魔)だったりしますよね。

いい意味で。

だから、弟子たちは叱ったんです。

「子供たちなんて連れてくるな」と。

 

だって、大人たちは真剣にイエスの話を聴きたかったのです。

子供たちに邪魔されたくないくらい、イエスの話が聴きたかった。

 

さて。

大工のイエスの周りに、どうしてこんなにも大人たちが集まってきたのか。

偉い宗教指導者や学者の周りならともかく、30歳そこそこの大工さんの周りに。

 

実は、30歳以降のイエスの職業は、大工というよりは「医者」だったのです。

福音を伝えながらイエスは、人々の病気や怪我を次々と治して行きました。

 

目の見えない人が見えるようになり、足の不自由な人が歩けるようになり、重い皮膚病の人が癒され、寝たきりの人が起き上がって歩き出す。

こういう奇跡的なことが、イエスの周りでいつも起こっていたのです。

だから、それを目にした人々は、イエスの周りに集まって来て真剣に話を聴こうとしました。

 

これが、大工だったイエスの話を、人々が真剣に聴こうとした理由。

そして、弟子たちが「子供たちなんて連れてくるな」と叱った理由です。

 

その時、イエスはこのように言いました。

しかし、イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」

そして、子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた。

 

なんと、「子供たちを来させなさい」です。

弟子たちもびっくり。

当時のイスラエルでは大人の権威が非常に強かったので、「子供を連れてくるな」というのは、至極真っ当な意見だった。

にもかかわらず、イエスは全否定。

 

そして、「わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」と言いました。

子供たちを指して、天の国はこのような者たちのものである、と。

 

「このような者たち」って、つまり、小さくて、弱くて、いつも妨げられているような人たち。

権威的でなく、子供のように純粋で、無邪気で、素直な人たちのこと。

 

なんだかイエスから、「大人はもっと子供を見習え」と言われているような気がしますね。

 

仕事でも料理でも、大人が何かを真剣にやろうとしている時、子供が邪魔をしに来ると、ついつい邪険にしてしまいます。

そんな経験、ありませんか。

私にはたくさんあります。

 

でも、イエスは「子供たちを来させなさい」と言いました。

大切なことは、今真剣にやろうとしている目の前のことでしょうか。

 

子供たちは、それ以上に大切なことが何かを知っています。

大人にちょっかいを出しに来る時、子供たちが大人に求めているもの。

それが、「本当に大切なこと」だったりします。

 

子供たちからそれを学べる私たちになりたいですね。

子供たちこそ、イエスの言う「天の国」に近いのですから。