あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです(詩編84編11節)
©︎Katsuaki Watanabe / 聖書 新共同訳

 

旧約聖書の詩人が、神様を賛美して歌った詩の一節です。

あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。

主(しゅ)に逆らう者の天幕(てんまく)で長らえるよりは

わたしの神の家の門口(かどぐち)に立っているのを選びます。

(詩編8411節 新共同訳)

 

「あなたの庭」は、神様の庭。

神様の庭で過ごす一日は、神様から離れて過ごす千日にまさるほど素晴らしい。

そんな意味ですね。

 

そして詩人は続けます。

「主(しゅ)に逆らう者の天幕(てんまく)で長らえるよりは、わたしの神の家の門口(かどぐち)に立っているのを選びます。」

 

ここでは、神様に逆らって生きる人の繁栄した人生と、神様の庭に留まって生きる人の素朴な人生とを対比させています。

詩人は、神様の庭で生きる素朴な人生を選ぶ、と。

 

正直なところ、ぼくはこの対比に賛成できないでいます。

ぼくは、神様の庭にいながらも、繁栄した人生を生きたい。

 

今までクリスチャンとして14年くらい生きてきて、教会にいるいろんな人を見たり、牧師さんが書いた本やクリスチャンの伝記を読んだりしながら思うことは、神様に従うと質素で貧しい暮らしになることが多い、ということです。

経験的に、そう感じます。

 

神様がそのように導く理由は、なんとなくわかります。

お金が人を惑わすこともありますし、豊かすぎると感謝する心がなくなってしまう。

少しお金が足りないくらいが、幸せなのかもしれません。

 

だけど、です。

これって変だと思うのです。

なぜなら、聖書には、神様に従って生きてとても豊かになった人が、結構出てくるから。

 

信仰の父祖と言われるアブラハム、イサク、ヤコブは非常にお金持ちでした。

それから、ヨセフ、ヨブ、ダビデ、ソロモン、モルデカイも豊かですね。

たぶん他にもいるでしょう。

 

思うに、神様を信じると貧しくなるというのは、人の思い込みに過ぎないのです。

と言うか、クリスチャンの思い込み、ですね。

 

むしろ、クリスチャンだからこそ、もっともっと豊かにならないといけない。

聖書の知恵は、どんな啓蒙書よりも、どんな成功哲学よりも、どんな自己啓発本よりも、遥かに優れた知恵だからです。

 

聖書の知恵は、人間関係を正しく導きます。

不正を行わず、公正な判断を下し、周囲に秩序を与えます。

喜びと感謝の心を持つようになり、他人を助け、自ら感動を生み出す人になります。

 

こう言う人が、世の中で成功しないわけがない。

神様を信じて歩む人が貧しくなるとしたら、それは神様の特別な計画があるか、もしくは、正しく聖書を理解していない可能性が高いのではないでしょうか。

 

もちろん、貧しく生きているクリスチャンの人生を否定しているわけではありません。

「罪あり」と指摘したいわけでも、全くありません。

 

そうではなく、誤解を恐れずに言えば、「貧しくなるか豊かになるかは、神様に従うかどうかと関係がない」のです。

神様に従って生きて貧しくなる人もいるし、神様に従って生きて豊かになる人もいる。

逆に、神様に逆らって生きて貧しくなる人もいるし、神様に逆らって生きて豊かになる人もいる。

 

私たちの人生を導く神様の計画に、「こうすればこうなる」みたいな因果関係をつけてはいけません。

ナンセンスと言うか、そんな公式に当てはまるほど、神様の計画は浅くない。

神様の奥義は、私たちの思いや考えよりも遥かに深いのです。

 

ぼく自身、豊かになりたいとは思っていても、神様がどう導くかはわかりません。

でも、少なくともぼくの願いははっきりしています。

「神様の庭にいながらも、繁栄した人生を生きたい。」

 

そう。

「いいとこ取り」をしたいのです。

 

自分のこの正直な気持ちを、神様に話すようにしています。

神様は聞いてくれるでしょうか。

 

恵み深く、慈しみに富む神様は、たとえ願いを聞いてくださらないとしても、もっと良いもので満たしてくださるでしょう。

・・・なんて、ね。

 

そうやって、優等生的なことを言っていてはいけない。

「豊かになりたい」と言うぼくの願いは、そんな中途半端なものではありません。

 

壁に突き当たり、追い詰められ、悩み、出口が見えない時間の中で、ぼくは、恵み深い神様にも、慈しみに富む神様にも、もはや期待できないのだと思いました。

ぼくが期待するのは、「憐み深い神様」です。

 

「憐み深い神様。」

 

神様は、ぼくの願いを聞いてくださらないかもしれない。

ぼくが考えるよりも、もっと最善の計画があるかもしれない。

 

それは、確かにそうです。

 

けど、憐み深い神様は、ぼくの苦しみを理解してくれる。

わかってくれて、その憐みのゆえに、願いを聞いてくださる。

 

親って、そうですよね。

子供がごねると、ダメなことはダメなんだけど、そうは言いながらも何とかして子供の願いを聞いてあげたくなる。

 

ぼくは、そんな神様の品性に期待するのです。

天の父なる神様は、憐み深い神様。

 

あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。

主(しゅ)に逆らう者の天幕(てんまく)で長らえるよりは

わたしの神の家の門口(かどぐち)に立っているのを選びます。

(詩編84編11節 新共同訳)

今日もぼくは、神様の庭で過ごす一日を選びます。