草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ(イザヤ40章8節)
©︎Katsuaki Watanabe / 聖書 新共同訳

 

聖書の言葉は、およそ2000年の間、変わっていません。

加えられることも削られることもなく、旧約聖書39巻、新約聖書27巻の計66巻で、すべて完結しています。

 

旧約聖書の時代の預言者イザヤ(紀元前8世紀ごろ)は、このように言いました。

草は枯れ、花はしぼむが

わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。

(イザヤ書40章8節 新共同訳)

 

「神の言葉」、つまり聖書の言葉は、永遠だと言います。

永遠に変わらない。

 

けど、永遠に変わらないものなんて、本当にあるのでしょうか。

少なくとも大学生のころの自分には、そんなものないように思えていました。

 

だって、世の中は移り変わります。

「草は枯れ、花はしぼむ」という言葉通りです。

今日覚えたことが、半年後には使えなくなっているかもしれない。

 

勉強しても勉強しても、新しいことが多すぎてキリがない。

「本質的なことは何か」ということを、常に考えなくてはならない。

 

時代が変わっても、決して変わらないもの。

どうせなら、そういう本質的なものに労力を使いたいと思う。

人生の土台を「動かないもの」にしっかりと据えて、その上で、時代の大きな変化に挑戦していきたい。

 

そうでなければ、あっちに揺れ、こっちに揺れ、ぼくの人生は移りゆく時代に翻弄されるしかない。

 

大学生の時、聖書が「決して変わらないもの」であると知って、とても嬉しかったのを覚えています。

もう14年くらい前のことだけど、「やっと安心して学べるものが見つかった」と思いました。

 

世界の歴史を見れば、2000年以上の時代が過ぎても、聖書の価値は失われなかったわけです。

それどころか、激動の時代を生きる多くの先人たちにとって人生の土台となり、今なお、世界中で聖書から生きる意味を見出している人がたくさんいる。

 

モノの価値は、歴史が証明してくれます。

歴史という「ふるい」にかけられて、それでもなお生き残るもの。

容赦無くモノの価値を風化させる長大な時間にさらされて、それでもなお耐え得るもの。

 

聖書の価値は、2000年という歴史が証明してくれています。

 

なぜ未だに輝きが失われないのか。

2000年前と全く同じ内容が、なぜ色あせないのか。

 

それは、人の本質に関わる内容だからです。

 

人の本質は、時代が変わっても変わらない。

聖書の価値が失われない第一の理由は、決して変わらない「人の本質」が、そこに書かれているからです。

 

草は枯れ、花はしぼむが

わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。

(イザヤ書40章8節 新共同訳)

預言者イザヤの言葉に、2020年を生きる私たちは同意するでしょうか。

 

紀元前8世紀を生きた彼にとって、私たちは遥か未来を生きる人間です。

2700年以上先の未来に、聖書が読まれているという事実。

その事実が、彼の言葉が真実だったことを雄弁に物語っています。