©︎Katsuaki Watanabe / 聖書 聖書協会共同訳

 

旧約聖書の預言者、イザヤによって語られた神様の言葉です。

本文中の「私」とは、神様のこと。

 

イザヤ書46章4節には、このように書かれています。

あなたがたが年老いるまで、私は神。

あなたがたが白髪(はくはつ)になるまで、私は背負う。

私が造った。私が担おう。

私が背負って、救い出そう。

(イザヤ書46章4節 聖書協会共同訳)

 

「背負う。」「担う。」「救い出す。」

いったい何のことでしょうか。

 

私の何を、神様が背負うというのでしょう。

 

聖書的には、「人の罪」です。

私の罪を、神様が、背負ってくれる。

でも、これでは多分ピンと来ない。

 

私なりにこれをもっと簡単な言葉で言い換えると、「心の重荷全部」ということです。

私の心の重荷を背負ってくれる。

神様が、全部。

 

毎日の生活の中で、理由もなくイライラすることありませんか。

私はよくあります。

もともとが心配症で、人一倍ストレスを受けやすい性格ですが、こういうことって私だけじゃないと思うのです。

 

イライラの原因は、はっきり言ってよく分からない。

自分でも自覚できないのです。

でも、心の中には不安、焦り、怒りなど、様々な重荷がある。

 

神様が「背負う」「担う」「救い出す」と言っているのは、こういう心の重荷のことです。

心の重荷が全部なくなって、軽くなるなら、素晴らしいですよね。

 

では、どうすれば重荷を神様に「丸投げ」できるかというと、とりあえず一つ一つ話してみるのです。

神様に、自分が何にイライラしているのか、何を不安に思っているのか、思いつくままに話す。

 

クリスチャンは神様に話すことを「祈り」と言いますが、それはそれとして、今日は堅苦しく考えずにいきましょう。

形式も何もない。

とりあえず、心の中のことを、「神様がいるなら」という前提で神様に話してみる。

 

例えば、こんな風にです。

「神様、今抱えている仕事がなかなか進まないのですが、期日までにちゃんと終わるか不安です。」

「神様、この仕事がベストだと思って選択しましたが、収入が増えなくて苦しいです。この道が正しかったのかどうか不安です。」

「神様、仕事をもっとしたいのに、家事や子供のことで時間を取られて、思うように仕事ができずにイライラしてしまいます。」

「神様、歯医者さんで虫歯と歯ぎしりを指摘されて、改善に取り組んでいるところですが、将来もっと歯が悪くなるんじゃないかと不安です。」

「神様、私はこんなに一生懸命やっているのに、状況が全然変わらないのです。こんな状況がもう一年以上も続いていて、本当に嫌です。」

 

などなど。

 

思いつくまま、適当で大丈夫です。

また、全部言おうと思わなくてもいい。

思いつくものだけで十分。

 

そうすると、不思議と心と体の緊張がほぐれていく。

 

そうそう、ほぐれていくのは、「心と体の」緊張です。

心がストレスを抱えていると、必ず体にも症状が出るからです。

体が緊張して、こわばるのです。

 

神様に話すことで、神様が重荷を背負ってくれる。

そうして、心と体の緊張が溶けていきます。

 

神様に一つずつ話していくと、自分が何にイライラしていたのか、ある程度わかってくる。

私たちは、自分でも自覚できていないのです。

何にイライラしているのかうまく言えないけど、とにかくイライラしている。

そんな状態。

 

だから、一つずつ話しながら、言葉にしながら、自分のイライラの原因を整理していくことはとても大切。

「あ、私はこれにイライラしていたんだ」という新しい自覚も生まれます。

 

今日ご紹介したイザヤ書の言葉は、神様が私の重荷を全部背負ってくれるという、そのことを約束した言葉なのです。

 

もう一度、引用しますね。

あなたがたが年老いるまで、私は神。

あなたがたが白髪(はくはつ)になるまで、私は背負う。

私が造った。私が担おう。

私が背負って、救い出そう。

(イザヤ書46章4節 聖書協会共同訳)

 

この聖書の箇所を読むと、「お前の全責任を俺が負う!」という、神様の熱い心意気が伝わってきます。

本当に、感動します。

しかも「白髪になるまで」だなんて。

 

生まれてからおじいちゃんになるまで、ずっとずっと、私のことを「背負う」と言ってくれる神様。

私が聖書のことなんて何も知らなかった時から、一方的に、です。

 

熱い。

熱すぎです、神様。

 

最後に、冒頭でちょっとだけ触れた、「人の罪」について。

神様が、「背負う」「担う」「救い出す」と言ったのは、聖書的には「人の罪」のことです。

 

私の罪を代わりに背負ってくれて、私の罪の代価を担ってくれる。

そして、罪の結果である「死」から、私を救い出してくれる。

聖書的には、こういう意味です。

 

そして、実際に、イエス・キリストの姿で神様が地上に来て、十字架の死を通して、このことを成し遂げました。

神様が死ぬなんてあり得ないことですが、それさえも可能にしたのが、「お前の全責任を俺が負う!」という神様の熱い心意気です。

 

私たちが毎日の生活で経験するイライラは、もとを辿れば「聖書的な罪」の結果です。

でも、今日は「罪」の話はとりあえず置いておいて、結果的に表面に現れてしまった、イライラだけに着目しました。

 

このイライラ、つまり心の重荷を、神様が背負ってくれるという約束です。

 

神様に話して心が軽くなっても、翌日にはまた同じことで悩むかもしれません。

来年になっても、今日と同じことで悩んでいるかもしれません。

 

でも、それでもいいのです。

神様に、その日その日の私の思いを話せば、それでいい。

何度でも、軽くしてもらえばいいのです。

 

だって、神様はこう言っているのですから。

あなたがたが白髪になるまで、私は背負う。